2017/03/31

BMWは明日から値上げ

BMWの国内販売価格が明日から改定される。価格UPの度合いは車種によって異なるが、平均して1.9%程度となる。
これ自体は特段非難されるべきことではない、と思うのだが、どうも世間の大多数は"値上げは悪"と考えているようだ。仕事をしていても、メーカーから値上げの通知が来る度に「これまでコスト低減の努力を重ねてまいりましたが……云々」といった回りくどい言い訳が付け加えられているのが常である。
確かに庶民の目線から見れば、品物が安いに越したことはない。が、品質には相応の対価が必要である、と言うことも忘れてはならない。しかも、物質の価値というものは刻々と変化するもので、常に一定でなければならないという道理はないのだ。
コンビニのアルバイト店員に過剰なサービスを求める客、配送業者に再配達を頼んで留守にする者……。どうも我々日本人は、サービスに対する料金、という商売の基本原則すら見失っているのではないだろうか(※)。

今回のBMWの件に関して言えば、高級車メーカーなのだから、価格アップもやむ無し、と言ったところだろう。部品の品質や、製造、販売の人員にシワ寄せが行くよりはよっぽど健全である。ボッタクリだのコスパだのという人は、高級車には手を出さず、車検ごとに軽自動車を乗り継いだほうがよっぽど良い。コストを掛けずに見栄を張ろうなどというのは、卑しい事である。


※特に団塊世代。トヨタさんがマークII三兄弟時代に随分甘やかしてくれたおかげで、「マット、サイドバイザーはタダが当然」と思っている勘違い野郎が多い。

2017/03/25

LEXUS LC500hを見てきた

LEXUSブランドから発売されたLC500hの展示車がある、というのでこの連休中に見てくることになった。
展示車はレッドのボディーカラーにオーカー(キャラメル系のブラウン)の組み合わせだ。カタログのメインカラーもレッドということだからか?対応してくれた営業氏も、せっかく目立つ車なのだから赤、黄系もいいですよ、と派手カラー推しであった。
外観については好みの分かれるところではあるが、21インチのホイールは流石に圧巻。隠顕式のドアノブは、飛び出たときに見える内側の部分まで綺麗に仕上げられていたのもGoodである。
内装については、当初単一カラーのベタ塗りということで、あまり期待はしていなかったのだが、意外と精緻な作りで好感が持てる仕上がりであった。正直、Webやカタログの画像は写りが悪すぎる。とやかく言う前にぜひ、現物で確認してもらいたいところだ。
それから、見た目に反して乗降性も良い。このテの車はシートの腰部分の落ち込みの大きいものが多いのだが、LCは通常のセダンからの乗り換えでも特に違和感を感じることはないだろう。着座感も良好。前方視界や頭上のクリアランス、レッグスペースも十分で、身長180cmの人間でも大丈夫だ。

で、問題の走行性能。ここがいちばん重要なところだが、試乗車の配備は5~6月頃になるのだという。それまでに時間的余裕と興味関心が失われていなければ、ちょっと乗らせてもらおうかと思う。
ちなみに、受注は絶賛受付中だが、納期は今日時点で早くても10月かそれ以降になるという。国内向けは月産100台というから仕方ないだろう。



2017/03/18

1928年のサラリーマンの労働時間が話題に

先日ネット上にアップされた"1928年のサラリーマンの一日"なるものが話題になっていたので、当時の世相の説明も加えて紹介しようと思う。


サラリーマンの一日
1928年の本によると、サラリーマンの一日は下の表のようでした。現代とあまり変わりません。昼休みだけがやや長めで、そのあいだに近くのそば屋やデパートの食堂に行って食事をしたようです。
出典:集英社 学習まんが日本の歴史 15巻

で、現代とあまり変わらないというその中身を見てみると……
8:00-9:00 通勤
9:00-12:00 仕事
12:00-14:00 昼休み
14:00-17:00 仕事
17:00-18:00 通勤
当時は土曜日出勤があったとは言え、これで"変わりない"とはよく言えたものである。ただ、ここで気を付けなければならないのは、当時のサラリーマンと呼ばれる人たちは、世間一般の水準から見れば相当に恵まれた労働環境にある、特権階級であったということである。

昔はみんな農家だった
ここで戦前の就業人口比を見てみようと思う。出典は"日本戦争経済の崩壊"という日本評論社の古い本である。
これによると、1930年の全労働者の内、48.1%が農林業でトップ、次いで製造工業・土建業の20.0%となる。ちなみに、サラリーマンは7%程度。大昔はサラリーマンをわざわざ"月給取り"と呼んだことから分かるように、国民の大半は農業か、日給制の肉体労働に従事していたのである。

どのくらいの給料だったか
1930年代の大卒サラリーマン初任給は50円/月程度。課長級ともなれば、年収数千円、超一流企業では年収1万円に届くこともあった。他の職業と比較すると、
海軍二等兵:13円/月
工員(見習い):10円/月(日給制)
工員(熟練工):50円/月(日給制)
大工(熟練):50円/月(日給制)
国家公務員初任給:75円/月
海軍大将:6,600円/年(年俸制)
こんな感じである。

当時の1円の感覚がどの程度か分からないと思うので、当時の物価の例を挙げてみる。
映画:40銭
コーヒー:10銭
米10kg:1円66銭
東京~大坂の特急乗車賃:24円18銭(1等)、8円6銭(3等)
食堂車のフルコース:1円30銭

一等車の料金が滅茶苦茶高い!この当時の一等車は文字通りのファーストクラスであって、いまどき小金持ちでも乗れるグリーン車とは格が違うのである。駅の洗面台で顔のススを落す下民を尻目に、ボーイさんの持ってきたお絞りでスッキリするのが上流階級の嗜みであった。

世間一般との恐るべき格差
あなたがもし、戦前のプロの旋盤工であったとしても、ペーペーの大卒会社員とどっこいどっこいの給料という悲しい現実。だが、思い出してほしいのは、就業者の大半が農家のセガレやドカタのおっちゃん、工場の下働きである、ということを。単純に寿命を切り売りしている肉体労働者と異なり、手に技術を付けた熟練工員や、大工の棟梁はまだ勝ち組である。


この図表は、統計局のデータを戦後にアメリカ国務省がまとめた資料から"Household Income in Japan by Income Classes,1930"という項目を抜き出したものである。
年200円以下で生活している人間が想像以上に多いことに驚かされる。これではマッカーサーが零細農家のヒーローになるのも納得(※)。こないだまで「出てこいニミッツ、マッカーサー 出てくりゃ地獄に逆落とし」なんて歌ってた連中が、熱い手のひら返しするのも当然である。

読者諸氏も戦前のサラリーマンになりたいと思わないか!?
(まぁ、容赦なく徴兵されて下手すりゃ死ぬリスクもあるが)



※1947年に行われた農地改革のこと。私のところは地主であったので、逆に貧しくなりましたとさ。




2017/03/17

迷惑なリアフォグ点灯

輸入車を中心に多い迷惑行為の一つ……それが晴天時のリアフォグの点灯だ。


リアフォグは読んで字の如く、霧や豪雨の際に、後続車に向けて自車の存在を示すためのものである。
ところが、コイツを天気の良い夜間に点けている輩の多いこと!周囲から見れば、眩しいことこの上ない。先日も後方を照らしている迷惑なニュービートルに遭遇し、ストレス値が上昇したばかりである。
原因として考えられるのは、運転手がリアフォグの意味を知らないか、そもそもスイッチの位置が分からないか、車の光り方に比例して頭の中も御目出度いのか、の何れかである。
最初の2つの理由については、納車前に説明しなかった担当営業にも責任がある。自分の客が、背中に「私は馬鹿です」と書いて走っているのを見過ごすことがあってはならない。

2017/03/16

エライ営業とは何なのか

"エライ"営業って何だろう。と、考えたとき、その答えは評価する人間の立場によって全く変わってくることになる。


まず、雇用している側、つまり会社からすればとにかく台数を売って利益を出す人間が優秀なのであり、それ以外の尺度はない。勿論、"車検入庫率"や、"台あたり粗利"などの細かい評価の内訳もあるが、結局はその一点に絞られる。企業の第一にして最大の目的は利潤の追求(※)なのだから当然である。また、営業マン本人としても成績(=給与)の評価基準がこの通りであるので、目指すところは同じだ。つまり、楽して台数を稼ぐことが正義となる。これは一応、一つの真実である。

ところが、顧客の目線ではそうではない。自分の無理を聞いてくれるかだとか、人間性がどうだとか、提案の仕方がどうだとか、有り体に言えば直接金にならぬ部分が尺度として登場してくる。これは厄介だ。会社は短期的に利益の出るものから優先順位をつけて評価している(※2)のに、客の方は新車の購入から諸々の点検、次の乗り換えまでの一連のサイクルに対するサービス全体に評価を下しているのだ。ここが自動車の営業の難しいところで、単なる使い捨ての消費財を売るのとは異なる部分である。
会社の基準では、"せっせと顧客にサービスして喜ばれるが、売れないセールス"よりも"サボってばかりでも台数を売るセールス"の方がエライのである。「いちいちアフターサービスに時間をかけずに新規の商談に時間を使いたい」と、誰しも考える。「とは言え、既存客に御座なりな対応ばかりだと心象を損ねるだろうし……。でも、ちょっと親切心を出したところで会社は評価してくれないし時間の無駄ではないのか……」と、営業マンは相反する要求の下で苦しむのである。

これは実際に私の知る営業マン(仮にA氏とする)の話である。A氏は私が在籍していた当時、拠点のトップ営業マンであって、管理職の面々からの評価も高かった人物である。が、その実態と言えば、とにかく新規客狙いで台数をさらうタイプで、自分の管理している既存客への対応は良いとは言えなかった。点検入庫の対応や、時には試乗希望者の同乗案内まで同僚(特に新人)に押し付けている姿がよく目についたのを覚えている。
営業所で最年長の先輩(B氏とする)がこれに苦言を呈したことがある。B氏は所謂知恵袋的存在で、私も大変お世話になった方である。曰く、
「Aのやり方は真似するなよ。新規が来るっていうのは商品が良いからに過ぎない。それがダメになった時、ああいうのは長続きしない。いざとなったら助けてくれるのは普段付き合いのある客だけだ。新規の5台よりも、代替の1台、紹介販売の1台の方がずっと価値がある」
さて、あなたなら両氏のどちらを見倣おうとするだろうか。おそらく賞与の多寡だけで判断すればA氏なのだろうが……。



※「我が社は社会貢献を第一」に、などと言うのは全くの嘘っぱちである。人間が本質的に自由勝手な状態を求めるのと同じく、企業も利潤の追求のために好き勝手しようとするものである。ところが、その度合がすぎれば他者との紛争を生じてしまうため、社会なる上位の存在(調整役)を構成し、そこに自分の持つ自由の一部を差し出すことで、より大きな利益を保護しようとするのである。この自由の分前が、国家や社会に対して負う義務や責任だとか、労使間の約束事だったりするわけである。

※2 新車販売台数>点検入庫>保険etc、という具合にである。うちはCSも重視してるぞ!という販社もあるかもしれないが、果たしてどれだけ評価に反映されているやら。もっとも、"頑張ったで賞"評価システムだけでは成り立たないのも事実なのだが。




2017/03/12

Alpine A110の詳細が出てきた!

アルピーヌ・A110と言えば、その圧倒的な軽量ボディでもってラリー界を席巻した伝説的名車である。流線型の優れたデザインも特徴の一つで、ハイパワーらしい厳しさは皆無で「フランス車ですよ」と書いて走っているかのような佇まいであった。そのA110がもうすぐ復活してくる。
今月5日にジュネーブモーターショーで公開されたスペックは次の通りである。

諸元
全長:4,178mm
全幅:1,798mm
全高:1,252mm
車両重量:1,103kg
乗車定員:2名

エンジン:直列4気筒DOHCターボチャージド
総排気量:1.8L
最高出力:152ps/6,000rpm
ステアリング:左/右
駆動方式:MR
変速機:7DCT

価格は現地で58,500ユーロ(約715万円)とのこと。それにしても今時、この重量の車をわざわざ新規に出してくれる事自体が有り難いな、という思いである。恐らく、アルファの4Cあたりと良いライバルになるだろう。それと、個人的にツボなのが、近年減少の一途をたどる丸目ヘッドライトの存在である。国産車にもこういうデザインが出来ないものかと、つくづく残念に思う。
新型のフェアレディZが発売されたら、それに乗り換えようとも思っていたのだが、デザインのためだけにA110もアリかな、という感じもしてきた。国内では早くても納車は2018年以降と言うが、既存のルノー販売店で売り出すのだろうか。続報を待ちたいところである。



2017/03/04

還暦過ぎてターボでもいいじゃないか

先日、近所の国道を走行中に面白い光景に遭遇した。
何の気なしに対向車線に目をやると、シルバーのランサー・エボリューションが走ってくる。安全運転のドノーマル仕様だ。


「ブーレイはVIIIだよなぁ。懐かしいなぁ」
などと思っていると、意外なことにドライバー氏は白髪に眼鏡の男性であった。それこそ、クラウンやセドグロが似合いそうな雰囲気の、である。恐らく年齢も還暦を過ぎているであろう。そこで理由を色々と考えた。

1:実は若い頃走り屋で、ランタボ時代から乗り継いでいる。
2:MTで一番高いやつをもってこい、と言った結果こうなった。

意外と2のようなパターンは多い。私の祖父(故人)もAT不信の三菱愛用者であったから、ギャランのMTばかり乗っていた記憶がある。
いずれにせよ、老紳士の操る大人しい(?)ランエボは、ガチガチの改造車とはまた違ったオーラを放っていたのであった。こういう爺さんになるのもアリかもしれない。



2017/03/03

社内報の暴言で大炎上

先週のことである。あえて社名は出さないが、某社の社内報の内容に問題ありとして、ネット上で炎上騒ぎが起こった。発信元は「ビジネス・商売の基本を述べた」「本来の意図が伝わらなかった」と、釈明しているが、とんでもないことである。


そもそも、一企業のトップが公の場に対して出す文章に関して、第三者からどう見られるのか、ということを全く考えていないということに驚かされる。本人の人格や心情がどうであれ、指導者としての最低限の礼節、越えてはならない一線というものが存在することが理解できないのであろうか。いい歳の大人がこれか、と呆れるしかない。文中、特に傑作なのは「個人的に張り倒した輩が~」という、ヤンキーの悪自慢の如き下りで、失笑を禁じ得ない。恐らく、自身の肩書が、諸々の社会的責任を伴ったものではなく、封建的な身分のようなものと勘違いしているのであろう。
こういった発言を平気でできる人間とは、果たしてどういう教育を受けてきたのであろうか?先祖が稀代の名将牟田口廉也だったりするのであろうか?私には理解しかねる。
ともあれ、ブラックな地雷原に自ら目印を立ててくれたことだけは評価したい。


社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない。
本田宗一郎