2013/07/17

決闘と英国の珍事

裁判で神に裁定を委ねるため、熱湯に手を漬け込む儀式……

日本史でお馴染みの"盟神探湯"である。
このように裁判の結果を神に求める神判の風習は、かつて欧州にも存在しており、簀巻きにした人間を水中に投げ込む冷水裁判、火で熱した鉄を掴む熱鉄裁判、そして裁判の当事者同士が実力(と言ってもここに神意がはたらくことを期待している)で争う決闘裁判などが存在した。
本来ならここで「昔はそういうこともあったんだなぁ」で終わるところなのだが、最後に記した決闘裁判なる制度は、ウィリアム征服王がブリテン島に持ち込んで以来、約750年にも渡って(一応格好だけは)存続し、波乱を巻き起こすのである。


Ashford 対 Thornton事件として知られるそれは、1818年に起こった。5月27日、イングランド中部の町で、メアリー・アシュフォードという女性の死体が発見される。捜査の結果、彼女は強姦の上、水中に投じられて溺死したことが判明。前日の夜、舞踏会で同席していたエイブラハム・ソーントンに疑いがかけられたのである。
実際の下手人がソーントンであったのか、それとも異なる第三者であったのかは、現在に至るも不明であるが(※1)、とにかく裁判の結果、ソーントンは証拠不十分で無罪となった。しかし、それで収まらないのが遺族である。被害者の兄であるウィリアム・アシュフォードは無罪判決に憤慨し、自ら殺人罪を証明する用意があるとして殺人私訴を提議した。これに対して被私訴人ソーントンは

「無罪なり。余は敢えて身をもってこれを争わんと欲す(※2)」

と宣言。かくして11月16日、ソーントンによって法廷内に決闘の手袋が投じられたのであった。

決闘裁判の制度は1456年以降、実際に用いられたことはなく、当時既に形骸化した存在であった。しかし、「決闘など古代の蛮習である」とする聴衆に対して、裁判長エレンバラ卿は「これ国法なり」と宣言。他の裁判官も全員一致で決闘を認めたのであった。これに恐れをなした私訴人(原告)は訴えを取り下げ、改めてソーントンは無罪放免となった。
この裁判の翌年、殺人、反逆、その他重罪に対する私訴と決闘の廃止を決めた殺人私訴法が成立。ソーントン以後、剣で無罪を争ったものは現れていない。

※1目撃者の証言による推測では、メアリーとソーントン氏は純粋な情愛で結ばれたらしいのだが、情事の後に身を清めようとしたメアリーが誤って転落した可能性が高いとされる。
※2穂積陳重著"法窓夜話"より